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活動内容
吉田 謙
関西医科大学総合医療センター 放射線科
日本女性放射線腫瘍の会(JAWRO)に寄稿、と言っても、何か立派なお話や訓示のようなものが出来るわけはありません。兼安先生が何を書いても良いと仰って下さったので、私の良く知っている女性放射線腫瘍医の先輩の話をしようと思います。
先輩は昭和9 年、新潟県東頸城郡の生まれで、そこは、1890 年に出来た岩の原葡萄園の近くであったといいます。上杉謙信の居城であった春日山城も比較的近くになります。父親は江戸の医学部を出ましたが、慶應ボウイとして都会で輝く夢を追わずすぐに越後に戻り、軍医としてビルマに出征したとき以外は、囲碁好きの無医村の開業医として雪国で人生の多くを過ごしました。
そんな父の影響かどうかは分かりませんが、先輩は東京に出て女子医大に入学しました。学生時代は兄弟と狭い下宿をシェアしていたとのことで、貧乏生活あるあるで、モヤシばかり食べていたらしいです。それでも本だけは金を惜しまなかったので、面倒を見てくれていた人が新潟の父に連絡し、贅沢して本ばかり買っている、とチクったらしい。でも父は、「本だけは好きにさせてやってくれ」と言ったとのこと。良い話ですねえ。
卒業後、先輩は父とは異なり東京に残る道を選び放射線科医として働きました。自由な気風だったのか、海外留学までしたようです。フィラデルフィアで病理解剖をしていたようです。その時の話として、ケネディ暗殺の話、ビートルズが踏んだ芝生をファンの女子たちが食べた話、などを教えてくれました。また、彼女と一緒にバンコクに行った際には留学時代の友人に再会し、近所の美味しいタイ料理のお店に連れて行っていただいたことを覚えています。青い唐辛子が入った料理が美味しかったのですが、何欠片目かの唐辛子を食べた瞬間に味覚がなくなりました。
あまりの辛さに半泣きで、そのあとはひたすら氷水を飲んでいました。
先輩が帰国してしばらく、1968 年に教授として着任されたのが、田崎瑛生先生でした。国産の子宮頸癌の腔内照射用アプリケータである「TAO 式アプリケータ」のTの由来の先生です(Aは荒居先生、Oは尾立先生)。先生のことは本当に尊敬していたようで、思い出話の中から一切悪口の類いは出てきませんでした。先生が、患者の顔は覚えてなくても、子宮の内診をすると「はいはい、あなたね---」と思い出すという話を何回か聞きました。今、自分がそうなっていることを恥じるべきなのか、誇りに思うべきなのか迷うところです。
その頃、神戸から小線源治療の勉強をしに来た或る男性放射線腫瘍医がいて、その人と結婚したとのことです。のちに、謙という名の子どもが生まれ、先輩はすっぱりと仕事を辞めて子育てに専念することにしました。ちなみにその子は、田崎先生の盟友ともいえる塚本憲甫先生(癌研→国立がんセンター)に抱っこしてもらったらしい。「 同じけんちゃんだね~」と仰ったとの事。これもなぜか私の終生の自慢になっています。
それはそうと、私は小線源治療一筋というかなりの変人です。でもこうして30 年クビにもならずに生きていけているので、とても良い世界だなあ、、、と感じています。私の母は専業主婦でしたが、彼女も独身時代は女性放射線腫瘍医で、結婚してすっぱり仕事を辞めてしまいました。
それは、若い頃の私にとってはとても勿体ないことに思え、自分を育てるために母は自分の大事なキャリアを犠牲にしたのだと思って非常に心苦しく思っていました。私は自分の分だけでなく、母の分も仕事をしないと世の中が許してくれないと思って自分を責めた時期もありました。
今は、さすがにそれほど思いつめることもありませんが、女性が女性らしく、楽しい放射線腫瘍医人生を歩んでいただけたら良いなと思っています。仕事一筋も良し、子育てや趣味に転科しても良し、戻ってきても良し、皆さまにとって、放射線治療はいつ帰ってきても暖かく迎えてくれる故郷みたいなものになってくれたらいいと思います。
先輩はまだ生きていてくれていますが、もうベッド上で動くことも出来ない状態です。でも、今もこれからも、私が患者さんを治すことに成功すれば、その手柄は彼女の手柄でもあり、論文を書いたらその業績は彼女のものでもあります。同様に、それは父のものでもありますが。 日本の或る女性放射線腫瘍医と或る男性放射線腫瘍医の間に生まれた者として、その、言葉で表現しがたい、形容しがたい、両親および両親に影響を与えた人たちから私に継承された不可思議なDNA の正体と、私自身の(小線源治療だけに)肉体組織の内に突き刺さっているイリジウムへの深い愛情と異常な執着との関係を解き明かすために、もう少し頑張りたいと思っています。